前回はエレベーターのボタン観察のきっかけについての話でした。
今回は、観察を続けるうちに気づいたことについてです。
日常生活の中で目に入るものをいかに見ていないかを語るうえで思い出すことがある。
自宅から駅までの通り道で小さなお店が何軒も連なる場所があった。
クリーニング店、歯医者、町中華、( )、自転車屋、… 気づけば町中華と自転車屋の間が閉店し、新しくパン屋さんが建っていた。少なく見積もっても600回は通っているが、パン屋さんになる以前が何の店だったかをまったく憶えていないのだ。なんなら閉店したことも知らなかった。
フォーカスを当てない限り、容赦なく風景扱いしてしまうのが自分の目。
エレベーターのボタンも同じように風景扱いにしていた。
よく遊びに行く友達が住むマンションのエレベーターが工事中で使用禁止だった。しばらく経って遊びに行くとエレベーターのボタンは新しいものに取り換えられていた。「以前と違うものになった」のは間違いないが、以前がどんなボタンだったかは憶えていない。そのエレベーターに何度も乗っているのに。
以前のボタンは職務を全うして旅立った。それなのに、優秀すぎるがゆえにヘビーユーザーの私の記憶には残らなかった。あまりにも気の毒じゃないか。
偶然とはいえ私はある日を境にエレベーターのボタンにフォーカスを当てた。これもなにかの縁。
それならば今後はボタンの目撃者になろうと思った。エレボタがそこで働いていたことを見届けよう、と思ったのだった。
機器やビル自体の老朽化に伴い、古きは新しきものへと取り換えられていく。
当然、より使いやすく、安心安全で、新しいものが良しとされる。
エレベーターのボタンが〈昇降機〉と〈別の階に行きたい人〉の間にあるインターフェースだとしよう。もちろんその時代最先端の「わかりやすい案内」が取り入れられる。大人、子ども、高齢者、ハンディキャップをもつ人、外国人、荷物運搬中などさまざまな人が迷わず使えるようにと。
例えば、1960~70年代建設のビルに多いエレベーターのボタンで、上は緑、下は赤のランプで色分けされたものがある。設置当時はわかりやすい表現として使われていた。
昨今はユニバーサルデザインの考え方が広まり、色覚多様性(赤と緑がほとんど同じ色に見える人がいること)が認知されるようになったため、赤と緑で色分けしたものはあまり見かけない。現存していても入替後には色分け式は採用されないだろう。
最近では色分けではなく、三角や矢印の部分がエンボス加工されており触れると上向きか下向きか判別できるボタンが多いように思う。
今後だって、予想のナナメ上をいくわかりやすさのボタンが登場するかもしれない。
こうして時の流れと同じく「わかりやすさ」も変化し続けている。
エレベーターの耐用年数は国税庁の定めだと17年(法定耐用年数)。国土交通省やメーカーでばらつきはあるが、だいたい20~25年スパンで新しいものに代わっていく。
15年経つとだいぶ様変わりしたなと感じるが、本当にかすかなグラデーションなので記録しないことにはとても認識できない。
たくさん集まるとようやく全体がぼんやり見えるようになる。量は質だ。
関東大震災からの復興真っ只中の東京で緻密な「一切しらべ」をおこなった考現学の祖、今和次郎の精神で地道に観察を続ける気でいる。
ということで、このサイトは、少しずつ進化する街なかのインターフェースの観察記録帳でもある。
私はエレベーターに携わる仕事をしているわけではない。ズブの素人が何やってんだと思われる方もおられるかもしれないが、刻々と移りゆく「わかりやすさ」に敏感でありたいなと思っている。